近田春夫、玉置成実を語る。

週刊文春近田春夫が連載している「考えるヒット」で玉置成実の「Reason」を取り上げていた。まず、この曲を”まるで全盛期のTK作品のような感触”と評した上で、”決してこの人も下手という訳ではないのだが、どこかシロウト臭いニュアンスが残るのだ”とし、”とにかく一生懸命な感じがする。それも主体的というよりちょっと受け身な精一杯さ”がチャームポイントだと分析している。
このへんは、我が意を得たりというぐらい僕の感じ方も同じ。近田さんは「受け身な精一杯さ」と表現しているが、僕はむしろ消化しきれていないというか、自分のものになっていないというかそういう印象を受ける。思いっきり売れ線の曲とそれを自分のものにしきれていない歌い手となるとそれだけでは面白くはないので、なにか+αがあるはず。
近田春夫はそれを「全身ナマ足みたいな猥褻感がある」みてくれと言っているが、ここは僕とは違う受け取り方。僕は、単純にダンスパフォーマンスにあると思っていて、”ダンスを踊るためのBGM”であるから耳障りさえよければ曲自体が面白くなくて構わない、というか、むしろダンスを見せるためには歌で聴かせてはいけないのだ。この点が玉置成実の抱える矛盾点で、次のステップを目指すときにジレンマに陥るのではないかと心配。